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■快癒館院長のプロフィール ・スタッフ紹介 整体を受ける上で、最も大切なことの1つは、「誰から受けるのか」ということではないでしょうか。 私は、小さい頃から今まで内向的な性格で、どちらかと言えばコミュニケーションをとるのも苦手です。以前は、そんな自分が嫌いで、何とかその部分を隠そうとしたり、自分を大きく見せようと努力してきたのですが、そこに安らぎはありませんでした。
■整体関係略歴健修館整体専門学院卒業 ■整体の道に進むキッカケ 20代半ば、会社員の頃のこと。 その日は何ともなかったのですが、数日後、会社から帰ってレッスンプロとともにテニスをしていたら、だんだん腰が痛くなり、翌朝目覚めた時には、激痛で起上がるのが精一杯で、靴下を履くことはできませんでした。それまで「腰痛って何?」というくらいに全く腰痛になったことがなかったので、「これが世に言うギックリ腰か・・・」と初めての経験に戸惑ってしまいました。 その日は会社から休みをもらって、何とか車を運転してやっとの思いで病院へ行ったのですが、担当の先生は「放っておけば治りますよ」と言っただけで何も治療らしきことをしてもらえなかったのです。「うそ〜〜せっかく痛いのを我慢してここまで来たのに・・・放っておけばいつかは治るかもしれないけれど、今苦しいのだから注射でもシップでもいいから、何かしてくださいよ〜〜」って、もう泣きたい気分でした。 著名人が紹介されていた東京の治療院にも飛行機で行きました。あまり効果は感じられなかったのですが、そのとき治療院に打合せにいらしていた出版会社の社長さんを紹介して下さったので「御社の●●を購読しています」と挨拶したら、後日、その社長から斎藤一人さんの本が届きました。そして、その直後にはある方から斎藤一人さんの講和テープをいただきました。 ある時、以前放映していたテレビ番組を思い出して、大阪にあるJ施術院を訪ねました。 「すごい!こんな世界があるんだ〜」と感動! でもこの時はまだ、この経験が整体師への道を歩むキッカケになろうとは、知るよしもなかったのです。
同僚とそんな話しをしていると、「ある居酒屋に、経営者になりませんかという本が置いてあるから一度飲みに行こうか」と言ってくれ、さっそく行ってみました。その店で本を購入して読んでみると自分にもできそうな気がして、チェーン本部に手紙を書きました。 居酒屋を経営するには2つの方法があって、1つは150万円で本部からお店を借りる賃貸タイプと、もう1つは店舗の内装・設備費用となる約1000万円を出すオーナータイプがありました。 私の希望は賃貸タイプで、ちょうどその頃、富山市内にあるE店が賃貸タイプなのですが売上があまりよくないため、契約を更新しない可能性があるということを耳にしていました。そうなれば、私にチャンスがある。私は、その方が更新しないことを願いました。 ちょうどその頃、私は3日間ひどい下痢になりました。病院に行っても原因は分かりません。そして3日目の夜、私は寝る前に、その方が更新しないように強く強く願ったのです。そうしたら夜中に誰かが私の心臓をギュッと鷲づかみしたかのような痛みで飛び起き、この時は本当に死ぬかと思いました。 結局E店の人は更新されなかったのですが、他の人が次にそこに入られることになりました。私には、本部からオーナータイプならやらせていただけるとの回答をいただいたのですが、資金が足りません。 実家の母には居酒屋をやりたいという話をしていたのですが、父とは、もうかれこれ20年近くロクに口をきいていなかったので直接話はしていなかったのですが、母によると「アイツに何ができる!ワシは1円も出さんからな!」と、脱サラして居酒屋をすることに大激怒していると聞いていたので頼れません。 兵庫の叔父さんに頼むと保証人になることを引き受けてくださったので、国民金融公庫や信金に融資を依頼したのですが「自己資金は十分ですが、保証人が県外の方ですので無理ですね」とのこと。私は兵庫県出身で、富山で保証人を頼める知り合いはいません。やれることはやったのですが・・・もう絶望的でした。
後で知ったことですが、普段あまり外に飲みに行かない父が、たまたま飲みに行ったところ、カウンターでたまたま知人と隣り合わせになって「ウチの息子が居酒屋●●をやりたいとバカなことを言っている」という話をしたそうです。 ということで、私は父から無利子で借金することができ、おまけに父に感謝することまでできてしまったのです。 「誰のお蔭で育ててもらっとるんや」が父の口癖で、その言葉を聞くたびに「へん、ボクが生んでくれって頼んだんじゃないわい。自分たちの都合で生んでおきながら恩着せがましい!」と(この頃は)いつも思っていました。 父との関係は小学校高学年から次第に悪化し、高校卒業時にとうとう爆発してしまいました。30歳になっても父とはほとんど口もきかないくらいの関係が続いていたのですが、でも「いつかは父に感謝できるようになりたい」と心の奥底で思っていたので、この融資問題は、無利子かつ父への感謝という予想以上の最高の形で落着したのでした。 そして厳しい居酒屋の修行が終わり、念願の自分の店がオープンしました。順調に売上を上げ、ますます潜在意識や人生の法則性を強く意識するようになりました。 「あの時のような治療をやりたい。」 しかし、すぐに整体にのめり込んでしまい、本業の居酒屋がおろそかになってきました。「脱サラして大きな投資をして持てた店。たくさんの方の援助のお陰で店を持つことができた。でもこのままでは中途半端になってしまう。廃業を決断しよう」。 その頃、読んでいた本の影響や自分の体験から、人生の法則通りにやれば失敗はないと自分では確信したので、妻に話しました。そして「もしやってみて最悪うまくいかなかったとしても、少々ひもじい思いをしても死ぬことはないだろう。でもやらなかったら必ず後悔する」と、まったく説得力はなく、やや強引とも言えましたが・・・・妻は今まで見たことがないくらいに、「なんでやめんなんの!」と激しく泣きじゃくりながらも、それでも最後には私を信頼してくれました。 兵庫に帰って父にも話しました。脱サラをする時にあれだけ激怒していたのです。今度は何を言われるか・・・。しかし、自分の意志は決まっていましたのでそれを素直に話したのですが・・・反応は、おだやかに、即OKをくれました。 その法則が真実であれば、人は好きなことをやって暮らしていくことができる。そうすれば、ストレスもなく、病気になることもない。みんなが幸せで、すばらしい世の中になる。よし、有り余るほどのお金はないけれど、自分の人生をかけて、その法則を試してみよう、本当にやりたいことをやってみようと心に決めたのです。 (実際には、うまくいかないことも多々あり、胃の痛みで苦しむようなストレスも味わいました) ■幼少期の貴重な体験 私が幼稚園児だったある日のこと、クラスメイトとケンカして幼稚園に行くのがイヤで、なにげなく「カゼでも引かないかなぁ」と思いながら寝ました。すると翌朝起きたら本当にカゼを引いて幼稚園を休むことになりました。 読めるか読めないかは知らないけれど、何もせずに毎日蛾におびえるのもイヤだし、それしか対策を思いつかなかったので、とりあえずやってみただけです。ところが、それ以降、ただの一度も蛾が部屋の中に入ってくることはなかったのです。これには、本当に私がビックリしました。何事もやってみなくちゃわからないし、常識にとらわれる必要もないのだなぁと、とても不思議な体験をしたのでした。 (現在、我が家では、貼り紙をしているにもかかわらず、蛾が出ました。妄信は危険ですね) ■院長の経歴 整体専門学院から認定書をもらい、学院に通院される患者さんを実際に施術させていただいたこともありましたが、まだまだ経験が浅く、自分で開業する自信はありませんでした。 その頃、よく読んでいた日本で最も有名なコンサルタントのひとり、船井幸雄さんの本の中に「人生に起こることにはすべて意味がある。すべては必然、必要、そしてそれはベストなタイミングで起こる」というのがあり、日々それを意識していました。 私は自分と賭けをしました。 快癒館のオープン日は数日後に迫っていましたが、もし、彼女を快復させる事が出来なかったら開業するのを止めようと。家に帰って必死で調べて、舞い戻り、鎖骨のズレを調整すると、痛みは少し残るもののかなり改善し、彼女は次の予約をキャンセルすることなく、無事に施術されました。その様子を見てホッとしました。まるで天から試されているような出来事でした。 そんなこともありながら開業しました。居酒屋の時にはオープン初日から入りきらないほどの来客があったのですが、今回はまったく寂しい滑り出しでした。 ■起死回生 廃業を決意し、アルバイトと掛け持ちしていた頃、快癒館に同期の女性が訪ねてきて「私を雇ってほしい」とお願いされました。私は「もうすぐ、やめるんですよ。なんなら、ここでやってみられませんか?器材は全て揃っているし、患者さんもある程度ついてるから、(サウナのように)やり方しだいでは繁盛すると思いますよ」と言って・・・ハッとしました。 どういう経緯だったかお話しますと、リラクゼーションでやっている頃、妻が腰痛を起こしました。左腰の筋肉がやけに硬くなっていたのですがいくらほぐしても緩んでこないのです。そこで私は妻に、富山市で有名なA治療院に行くことを提案しました。 戻ってくると痛みは消えていて、ポッコリしていた左腰が治っています。妻に聞いてみても矯正の仕方は学校で習ったものとそれほど違いません。何が違うのだろうと考えてもわかりません。「こうなったら偵察に行くしかない。行くならとことん分かるまで行く」。でも定休日が同じでしたので、定休日を変更して偵察に行くことにしました。 また、その頃、時々快癒館に来院されていたBさんは、「どこに行っても右腕のシビレがとれない」とおっしゃっていたのでA治療院のことを話すと「行ってみます」ということになりました。 定休日を変えるやいなや、さっそく患者を装って行ってみました。治療を受けていると、A先生が「仕事は何やってる?」と聞いてこられました。ドキッ!偵察しに来たとばれたら・・・と一瞬迷いましたが、「整体です」と答えると、「ひょっとして、誰かウチに紹介したか?」と聞かれ、「ハイ、しました」と答えると、「オマエか〜・・・何か聞きたいことがあったら何でも聞いていいぞ」と言っていただき、それ以降、毎週通い続け、技を盗ませていただきました。 自分のカラダはすぐに良くなったのですが、「勉強したいから通わせて下さい」と言って結局9ヶ月間、毎週患者として通わせてもらい、骨盤と背骨の矯正方法を身につけていきました。 A先生も太っ腹で私の質問には何でも答えてくださいました。本当にありがたく思っています。 ■カイロプラクティックを学ぶ A治療院で背骨と骨盤の矯正方法は、だいたい理解できたのですが、頚椎(首の骨)の矯正方法だけは、手取り足取り指導してもらわないと不可能だと感じました。 そんな頃、兵庫県の従兄弟からカイロプラクティックを勉強しないかと誘いを受け、月に1回、学ぶため大阪に通い、レントゲン画像分析と手技を学びました。 しかしながら、通い始めたものの、受講料・教材費・交通費を合わせると年間100万円くらいかかり、「明日は家賃の引き落としだけと今日の残高では足りない」「セーフ、何とか間に合った」「明日は電気代」「明日は・・・」というような綱渡りの生活が続きました。 ■カイロプラクティックで施術する カイロプラクティックを学んだことによって、見方や施術に幅が広がってきました。しかしリラクゼーションスタイルでは様々な検査ができず、カイロプラクティックの持ち味を充分に活かすことができません。 ■気の極意 気の極意は、「気は出ると思ったら出る」「出ないと思ったら出ない」「出ないかもしれないと思ったら出ないかもしれない」「出るかもしれないと思ったら出るかもしれない」のです。 でも、私はそれを知っても、すぐには気で調整する訓練はしませんでした。自分の心に邪心があるうちは危ないと思ったからです。まずは人間性を高めることに力を注ぎ、自分の心が清らかになったと自分で納得できてから、その訓練を行おうと決めたのです。 ■現在形 私が学んだものには、整体、カイロプラクティック、オステオパシー、気功、気導術、ボディーワーク、カウンセリングなどがあり、それぞれにたくさんのテクニックがあります。 その時その時の状況に合わせて、最適な手法を効果的に組み合わせることを心がけて施術を行っています。
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